群馬県 みどり市 貴船神社 水みくじ 京都貴船神社より分霊

平安時代に干ばつの祈願成就により創立

群馬県 みどり市 大間々。

関東平野の北の奥、足尾銅山の鉱毒被害で知られる渡良瀬川。

その上流に端を発する、急峻な流れによって作られた大間々扇状地の先端、高津戸峡の奥に、京都にある貴船神社から分霊された同名の社があります。

渡良瀬川により形成された扇状地の先端にある

少し南に下ると関東平野の北の端でもあり、関東で3番目の規模でもある大間々扇状地の先端でもあります。貴船神社がある付近の渡良瀬川は高津戸峡と呼ばれており、狭く深い谷が刻まれています。付近にはこのサイト内でも紹介している「大間々神明宮」「はね瀧道了尊」もあります。

群馬県 みどり市 大間々神明宮 ねじれた子供の心を直す はね瀧道了尊
群馬県 みどり市 大間々町。ここに「大間々神明宮」というお宮と「はね瀧道了尊」があります。伊勢神宮と同じ御祭神を祀る 大間々神明宮大間々神明宮は、伊勢神宮と同じ神宮造で、慶長4(1599)年から明治12年まで21年毎に式年遷宮を行っていたお...

大間々扇状地は前述の通り広域な扇状地なので、群馬県太田市まで緩やかな傾斜地が続いており、扇状地の末端付近では湧水と見られる池や、湧水を利用した堀などが、付近の神社境内の池や、かつての豪族の館跡の堀などに利用されています。

赤丸の場所が「貴船神社」の位置です。傍を流れる川は渡良瀬川。

鳥居前にある貴船神社の由緒です。いずれも、水、精霊、国土に関した自然を司る神が祀られています。

鳥居を潜ると数十段の石段があります。石段の下からは本殿は見えませんが、階段の数はそれほどは多くないので、あまり苦もなく上まで登れると思います。

石段途中の左側には赤い鳥居の摂社があります。社や周囲を見ましたが、社の名前が見つかりませんでした。

石段途中の右側には幾つかの石碑があります。左端の石碑には大きく「征清記念碑」と大きく刻まれているのが読めます。

「征清記念碑」とは、日本全国各地にあり、いずれも日清戦争での従軍者の顕彰や、戦没者を慰霊している碑との事です。調べると神社や公園に設置されている場合が多くあります。

中央と右端の碑については、よく解りませんでした。

石段を登り終えると、すぐに本殿があります。柱が朱塗り、壁が白塗りの美しい本殿です。本殿の右側には、祈祷の受付があり、そこから本殿内に入り祈祷を受ける事ができます。

お守りやおみくじが豊富で、珍しい「水みくじ」がある

本殿の東側には、おみくじが置かれた長い廊下のような建屋があり、その更に東に社務所とお守りの売られている建物に繋がっています。

この神社の特徴の一つが、長廊下のような建屋の中に、多数のおみくじが売られている事です。20種類近くあるかと思います。

おみくじ売り場の右の一番奥には「水みくじ」と呼ばれる、水に浸すと結果が現れるものがあります。この水みくじは、この神社が分霊された元の社である「京都貴船神社」が始まりとされています。元々豊作を願う雨ごいに因む水の神様であるため、水みくじが始まったようですね。

ここ群馬県みどり市の貴船神社でも、水みくじが行えます。水みくじを浸す水場には、小さな錦鯉が泳いでいます。水みくじを浸そうと人が近づくと、逃げる事はなくむしろ水面から顔を出してくれます。人に慣れているようですね。

余談ですが、水みくじは関東でも数えるほどの神社にしかないようです。関東で私の知るところでは同じ群馬県の高崎市、榛名山麓にある「榛名神社」しか知りません。

水みくじを引いて占ってみた所、幸運にも「大吉」でした。

写真の薄い文字は、水みくじの紙が乾くと消えて見えなくなります。また、水みくじの中身はこの水みくじの紙のほか龍神様に因んで、金色で1cm大の「龍」の縁起物が同梱されています。

絵馬を掛ける専用の大きな「絵馬掛所」です。因みに、各おみくじを結んで神社に置いていくところは、この絵馬掛所の左側に、横に長く紐が数段に渡って張られています。

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