栃木県足利市。
本社は三重県伊勢市にあり、日本では知らない人は居ないほど認知度があり、天照皇大神や豊受大神など、日本神話に登場する神々を祀る「伊勢神宮」。ここから分祀された正統な伊勢神宮の分社である伊勢神社についてのご紹介です。
神社名が町名に
場所は足利市の「伊勢町」。まさに伊勢神社がある地域なので、町名に神社の名が付いています。
JR足利駅から、北北東に約300m、足利学校から東南東に約400mほどの所に位置しており、足利市の昔からの市街地にあります。
伊勢神社には駐車場が2か所あります。写真の、神社の南東にある砂利の駐車場は6~7台ほど、神社の西側にあるアスファルト舗装の駐車場は15~16台ほど停められます。
日本は平安時代から鎌倉時代に移る争乱の多い時期であった
創建は仁和元年(1151年)。写真にあるように今年は創建870年に当たります。
時は平安時代。この時代は平安の初めには空海、終わり頃には法然など、今の仏教の祖となるような名僧の生まれた時代でもあり、またその考えられる背景の一つに天災(貞観地震、富士山噴火、永長地震、承徳地震)や、国の統治が、平家と源氏の間で不安定な時期であった等があると、年表から察するに考えられます。この時期に世の人々は神仏の救いが必要であったのだろうと、推察が出来ます。
この日は、3月上旬の日曜の朝9時過ぎで、真冬並みの寒い日でしたが、それでも少しづつ途切れずに参拝者が居ました。鳥居は木製で、上部には鋼製の屋根が張られ、腐食などから保護されているような造りです。
御祭神は伊勢神宮と同じ
足利市の伊勢神社には、伊勢神宮と同じく内宮(本殿)に「天照皇大神」、外宮(豊受大神宮)に「豊受大神」が祀られており、更に末社「月読宮(つくよみのみや)」があり「月読命(つくよみのみこと)」が祀られています。
内宮と外宮の両方を参拝できるようになっています。
鳥居を過ぎてすぐ右側にあるご由緒。
手水舎の右側にある大きな石碑。残念な事に内容は解りませんでした。また、写真はないですが、その手水舎は人が舎に歩み寄ることで感知され、龍の口から水が注がれるようになっています。
足利市の伊勢神社の内宮。当然かも知れませんが、伊勢神宮と同じ神宮造です。屋根の色は若草色で、新鮮に見えます。
もちろん、お祓いを受ける事も出来ます。
内宮の東側(向かって右側)には、外宮である豊受大神宮に続く参道と鳥居があります。鳥居は神社の入口と同じ造りです。
近くで見ますと、一般によく見られる神社とは少し異なる構造で、地面の上に大きな石があり、その上に木製の台らしきものが置かれています。そして、その奥に本殿と見られる建物がありました。小さいながらも重厚さを感じる造りです。
こちらは「豊受大神宮」の前にある賽銭箱です。金属で作られ、注連縄が巻かれていますね。この賽銭箱も私は初めて目にするものでした。
更に、この伊勢神社には、末社として「月読宮」が豊受大神宮の西側(向かって左奥)にあります。石造りの小さな社ですが、社の向かって右側には社名が刻まれた石柱もあり、重厚な造りです。
「月読宮」の西側には、石造りの蔵がありました。
足利伊勢神社の蔵だと思いますので、神社のものが仕舞われているのだと思うのですが、扉は開けてあり、収蔵されているものが痛まないようにか、風が通るようにしてありました。注連縄も掛かってました。
内宮の西側には社務所があり、お守りやおみくじが売られています。
神社西側の駐車場です。左に見える白い建物は社務所です。
神社の敷地外に出て、敷地の北東側から写しました。木々によって囲われ、聖域が守られている様子がわかります。
斎館の新築工事の表示板です。
斎館とは、神事のときに潔斎のため神官などが参籠(こもる)する建物との事です。(出典:コトバンク)
因みに斎館は、本社である三重県の伊勢神宮にもありますし、山形県にある出羽三山の羽黒山神社、長野県の諏訪大社、奈良県の橿原神宮など、著名な大社などには備えられている建物で、神館(かんだち)とも言うようです。
下は足利伊勢神社のインスタグラムです。時々更新されており、楽しめるものになっています。
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