
栃木県 足利市。
足利市の東の端に近い、山間の地域に、平将門伝説の残る小さな社があります。
子之権現。
この小さな社は、平将門(以降、将門と記述)が討伐された際、ばらばらになった体のうち足の部分が飛んできた地とされています。
将門は、中世の時代に新皇を名乗り、朝廷の命によって「藤原秀郷(以降、秀郷と記述」に討伐をされた戦国の武将。
秀郷については、関連記事がこのサイト内でも幾つか紹介しています。




将門が討伐されたのは、足利市内を横断して流れる河川・渡良瀬川、足利市鹿島町や、その対岸の群馬県太田市只上(ただかり)町付近の河原との伝説が残る。付近には、ばらばらになった将門の他の体の一部が飛んできたという場所に神社や寺が建てられて祀られています。
そのうち、最も離れた場所に伝わるのが、この「子之権現」です。

「子之権現」の登り口には、写真の碑が建てられています。


碑の裏面。「昭和十五年六月 阿由葉?三郎 ??」と刻まれています。(※?は読み取れませんでした)

少し登ると、道の左側に写真中央の碑がありますので、左へ登って行きます。民家の庭先のような道を行きます。

刻まれている文字。「左 祈りのぶんばんみち」?

裏面には、初めの碑と同じ「阿由葉」の文字が読み取れます。

すぐに、右に階段があります。通路上の雑草は刈り取って頂いていますので、迷わず進めるのではないかと思います。

山道を数分ほど進み、すぐに社に着きます。


社の前には、手水(ちょうず)があります。

子之権現を正面から見ます。向かって左側に屋根が付いていますが、本殿とは別に後から付けられたように思います。

側面から。草鞋が沢山吊るされています。
建物側面の屋根は、このような奉納された草鞋を提げておくために作られたようです。
子之権現は、足腰の神様。足腰の丈夫を願った人達が、手作業で丹精込めて作ったものでしょう。
藁が色褪せているので、だいぶ年月を経ているように見えます。


正面の鐘の上には、鉄の草鞋が飾られています。
やはり、他の子之権現と同じく、御祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」かと思われます。
大己貴命には、非常に旅好きで、鉄の草鞋を履いて旅したという伝説があります。
そして、草鞋に願い事を書き奉納するという祈願法が伝わっているそうです。

格子戸越しに、社内を写しました。
社の外には、お賽銭箱は見当たりません。
垂れ幕の右側には「昭和四十九年 九月吉日」と読み取れます。
そして左側は「桐生市」と、おそらく「青木つる」という人名があります。この垂れ幕を奉納した人物
なのでしょうか。桐生市はこの足利市と隣市ですが、とはいえ10km以上の距離はあります。何かしらの理由がありこの神社を崇敬していたのかも知れません。


神社の向かって右側に扉があり、新しめの鍵がついています。管理されているようですね。


神社入口の周囲の景色。のどかな田園と里山が広がります。
御祭神 草鞋が沢山奉納されており、足腰の神様であることがわかります。
御祭神は、子之権現は「大己貴命(おおなむちのみこと)」か
御利益 足腰の健康、厄除け、交通安全、家内安全
お守り なし
御朱印 なし
参拝者数 殆どいない
参拝所要時間 約15分
駐車場 なし(短時間なので入口傍の道路脇に駐車しました)
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