
山頂付近にある巨大な堂宇
栃木県・足利市の市街からやや北西の山間に、大きな堂宇を持つ寺があります。
足利市大岩町にある、町名の元ともなっている、大岩山 毘沙門天。寺の名は「最勝寺」と言い、本坊は山の麓にあります。
現在も存在する毘沙門天本堂などのほか、最盛時には、山内に12の坊を持つ規模であったようですが、現在の建物は大岩山麓にある最勝寺本坊と山頂付近にある毘沙門天本堂、山門である仁王門、鐘楼などいくつかの建物のみとなっています。
開基したのは、聖武天皇の命により東大寺大仏殿を造立した「行基上人」
大岩山毘沙門天を開基したのは「行基上人」と呼ばれている、聖武天皇から奈良大仏造立に招聘され、近畿地方を中心に青森県から宮崎県まで全国に600寺以上の開基の伝承を持ち、社会事業や困窮者救済に力を注いだ人物です。

行基上人は、足利市内にこの最勝寺のほか「行道山 浄因寺」という寺も開基しています。
北関東の現・栃木県である当時の下野国は「入唐八家」の一人である「慈覚大師 円仁」
の出生地でもあります。幼少期には現・栃木市岩舟町の大慈寺で修行もしています(以下参照)。

が、「行基上人」は和泉国(現大阪府堺市)の出身です。坂東(現関東地方)出身である円仁が関東・東北など東日本に多くの寺を開基したのは出生地の地方であることも一つなのかも知れませんが、行基は西日本の出身でありながら、この坂東や東北にも開基伝承の寺が多くある人物です。
空海ほどの知名度はありませんが、空海と同様に日本全国を巡り、各地にその足跡を残している偉人だと思います。
参拝は歩いても、自動車でも行ける
大岩山毘沙門天の入口は、大岩山麓の最勝寺本坊から200mほど奥に進んだ所にある大岩山多聞天(毘沙門天)と刻まれた石柱門です。ここからほぼ山の稜線上を登って行きます。
現在は車道が毘沙門天本堂のすぐ下まで通っており、自動車を使えば容易に本堂に行く事ができます。ですが、当然の事ながらかつては車道はなく、この石柱門から本堂まで歩いて行っていました。
地図の等高線を見て頂ければ解りますが、大岩山毘沙門天石柱門の標高は140m付近、毘沙門天本堂は標高300付近で、標高差は160m。通常登山では標高300mを1時間で登れるとされており、実際に私が歩いて登ったところ30分程で到着しました。

驚くのは、毘沙門天の本堂が山の頂上付近にあるにも関わらず大きく立派なことです。
毘沙門天が開山されたのは天平時代の745年、毘沙門天本堂含む建物は翌746年に建立されています。その後、1447年に雷火により山門を除く建物が消失されるが再建され、宝暦時代の1757年に火災により再び消失、1762年に三度再建され現在に至っていますが、その間、明治40(1907)年、昭和13(1938)年、平成5(1993)年の三度修繕が行われています。
このうち、平成5(1993)年以前の再建と修繕については、車道がない時代なので、本堂の木材は全て人力で運ばれた事になります。
大岩山毘沙門天に、歩いて登る時の駐車場です。30台程度は駐車できそうな広い駐車場があり、トイレもあります。因みに前述したとおり、毘沙門天本堂の真下まで道幅は狭いですが車道は伸びており、足に不安のある方でも自動車を使えば参拝が可能です。

駐車場の傍には、幾つかの、大岩山毘沙門天の説明板があります。
時々清掃など手入れが成されているのか、比較的きれいになっています。



歩いて登る道は3本
駐車場のとなりにある、大岩山多聞天(毘沙門天)の石柱門です。
因みに、ここからの道は「男坂」と呼ばれています。写真の右側の舗装された車道を200mほど進むと「女坂」と呼ばれる道もあります。
「男坂」は本堂までほぼ直線的に斜面と稜線を行く道で、急な勾配が多くなっています。ですが、歩いて登る方に最も歩かれている道なので、道幅は比較的広く、踏み慣らされているため、勾配の割には歩きやすい道です、そして稜線上にあるためところどころ眺望があり明るく開けています。
それに対し「女坂」は山の斜面を緩やかに遠巻きに登りゆく道なので、距離は長いですが勾配が緩いので歩きやすくなっています。ただ、林間をゆく道であり、それほど太陽光の差さない道です。
そのほか、この石柱門を通り正面階段の左方へも道があり、この道は「古道」と呼ばれており毘沙門天へ至る最も古い道とされています。この道は、左側の沢沿いに道があり、その沢のつきあたりから右側斜面に取り付き、九十九折りの道をゆき途中に「叶権現」という岩の裂け目に設けられた小社の傍を通り、本堂へ至る道です。こちらも沢沿いで林の中をゆくので、女坂と同様にそれほど太陽光の差さない道です。


「男坂」の道です。多くの人が通行し、そのあとに大雨がふり浸食するために道が両側の地面より深くなっています。

10分ほど登ると、少し平坦な場所に出て、東屋があります。やや古びており、屋根も破損はしていますが、瓦が使用されており、造りは立派な東屋です。
この場所は大岩山の南の稜線の下端になるようで、ここからは少し緩やかな稜線の道になっています。ここまでの道より少し明るい山歩きになります。


境内まで登ると眺望が良い
更に15分ほど登ると、岩稜の上に、建屋のない手水舎が置いてある場所に出ます。
ここは「行基平」と呼ばれている場所です。岩稜の上からは、足利市街方面の眺望が得られます。
この「行基平」は、それほど広くはありませんが細長く平坦な場所で、ここから毘沙門天までは急な坂道などはなく、歩いて5分程度で着きます。


岩稜から数十mほど進むと、ここまで登ってきた道「男坂」のほか「女坂」そして「古道」と呼ばれる道と合流する場所があり、そのすぐ先にこの「大岩山石造層塔」があります。周囲に屋根のついた舎が建てられ、雨による浸食と風化を防ぐよう保護されています。
説明板を読むと、現在の高さは148cmだそうですが、以前はもっと層も多く高い築造であったようです。築造年は建長時代の1256年。実に800年近い年月が過ぎています。


石造層塔を過ぎると、麓から繋がっている車道に出て、正面に毘沙門天本堂へ至る山門(仁王門)への階段があります。その手前には、毘沙門天に関する幾つかの説明板があります。

説明版によれば大岩山毘沙門天は、前述の通り「行基上人」が聖武天皇の勅命により開創したと伝えられ「奈良県信貴山」「京都鞍馬山」とともに日本三大毘沙門天に数えられています。




2021年の山林火災後、文化財は修復に出されている
大岩山毘沙門天の山門(仁王門)です。
門の両側には「運慶」作と伝わる金剛力士像が本来ありました。
しかし2021年2月に発生した山林火災により、毘沙門天本堂は3度目の火災消失の危機に瀕しました。その際、本堂にあった聖徳太子作と伝わる御本尊の毘沙門天像やその他の仏像、2体の金剛力士像は火災から守るために近隣住民の方々によって運び出され、焼失を免れたそうです。
ですが、年月による経年劣化や、緊急避難的な対処であった事による多少の破損は免れず、修復の必要があり、現在は京都府にある美術院国宝修理所などで修理を行っている、とあります。


山門の中に置かれている「おびんずるさま」です。
「びんずる尊者」様の像は、有名なところでは長野県善光寺にもありますね。

本堂へ登る階段の途中にある鐘楼。お賽銭を入れて撞く事が出来ます。




境内の東端にある「毘沙門天の杉」の説明板です。
足利市内で最大の杉とあります。写真では解りにくいですが、間近で見るととても太く大きいです。


境内には、他にも御神木と呼ばれる木があります。
これは「祈りの欅」と呼ばれている木です。



本堂のすぐ東にある、山王権現についての説明板です。
山王権現は、この毘沙門天を開基した「行基上人」が、大和の国(現在の奈良県)に滞在していた折、夢の中に山王権現が現れ「関東の足利に霊山があり、その山に登れば所願を叶える事が出来る」と告げられ、山王権現を一山の鎮守としたと言います(大岩山毘沙門天HPより)。


ほか、境内にある須弥壇造立碑文。

お守り売り場です。お守りは本堂の中にも売っており、種類は豊富です。

御朱印もあります。この御朱印は、令和5年限定の御朱印とのこと。このほかに、通常扱っている御朱印も2種類ほどあります。

本堂内天井には古い水墨画などがある
大岩山毘沙門天本堂です。
本堂内へは、参拝をするだけでも上がらせて頂けます。
写真はありませんが、本堂内の天井にはとても古そうな水墨画などが沢山飾られていました。写真撮影が可能かどうか聞きましたが、以前は良かったが現在は禁止なのだそうです。
私は御朱印を購入しましたが、それだけでも住職が御祈祷をしてくださいました。
その御祈祷の前に、初めての経験でしたが、以下のような儀式を行いました。
香りの粉(シナモンとのこと)を一つまみ、自分の両手で擦り合わせて、その手を、自分自身の体で不安なところ、良くなってほしいところに当てて、良くさすることで、良くない気を祓う事ができるとのこと。
香りが手に残っているうちに行うのだそうです。
御祈祷では、自分の名前を読み上げながら行っていただくことができます。

大岩山毘沙門天は山の頂上付近にあるので、境内からの眺めも良いです。

これは、大岩山毘沙門天に歩いて登る3本の道の一つ「古道」の途中にある「叶権現」です。岩の間に社が祀られています。

数年前、ご厚意ある方により美しく整備された
この「大岩山毘沙門天」は、数年前までは、今のように整備されてはいませんでした。
毘沙門天の方にお聞きしたところ、数年前に、御厚意で修繕をしてくださった方がおり、現在のようなとても整った境内の環境になった、とのことです。
境内の地盤は舗装され、案内板も作り替えられたり、新たに加えられました。
ほか、車道で少し先に行ったところにある「大岩山西公園」は「大岩山天空西公園」として、とても美しく整備されました。
普段は、たくさんの人が訪れる事はないのですが、山上にあり、眺望がよく、歴史を感じられる場所であり東大寺大仏殿造立にも関わり、遠く大和に居がありながら全国に寺院を開いた「行基上人」のゆかりの古刹でもあります。
・大岩山の麓から登山道(古道・男坂・女坂)を歩いて約30~40分
・境内下まで車道あり 駐車場あり(境内下の道路沿いに10台程度)
・境内での参拝所要時間 約30分
・参拝者数 少なめ
・御朱印 あり(週末のみ)
・お守り あり(週末のみ)
・開山 天平17年(745年)
・開祖 行基上人:奈良の大仏(東大寺)造立の功績より東大寺四聖の一人に数えられている。
・栃木県足利市内にほか「行道山浄因寺(関東の高野山)とも呼ばれた」を開山している。

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