栃木県 足利市 利性院 閻魔大王 幾度の火災に遭うも創建時から現存

栃木県 足利市。

日本初の学校として知られる足利学校から西に300m、鑁阿寺からは南西に250mほどの所に「利性院 閻魔大王」があります。

創建は江戸時代前期、頭部は創建時より現存

創建は1655~1657の明暦年間で「勘譽善察」和尚により建てられたのが始まりで、幾度かの火災に遭い、明治の大火では近隣の方々により運べるものは全て運ばれ、大きな閻魔大王像については胴体は残念ながら堂宇と共に焼失しますが、幸いに頭部を外す事ができたため、他の木像などと共に火災から逃れ現在まで現存しています。

利性院は、足利学校や鑁阿寺に近い位置にあるため、観光用の公共駐車場が傍にあります。

3時間まで利用できるため、余裕をもって拝観ができます。

駐車台数は30台以上は駐車が出来、また3時間までとなっており回転率も低くはないので、停められずに困るような事もないかと思います。

駐車場から50mほど歩くと入口の前に着きます。

「閻魔さま」についての説明板です。

閻魔堂を外から見ています。風で銅鑼の紐が揺れています。

堂宇の前には、閻魔堂の詳細と歴史について書かれています。

正式名称は「瑠璃山醫王寺(るりざんいおうじ)」と言い、本尊は同じ足利市内の「法玄寺」にある「薬師如来」で、利性院は法玄寺の末寺とのこと。法玄寺は、ここ閻魔堂から西北西に500mほどの位置にある大きなお寺です。

明治25(西暦1892)年2月の大火では、消失した堂宇は同年中に再建されたとあります。近隣の方々などの信仰の深さを伺う事ができる事由です。

そして、その117年後の平成21(西暦2009)年8月には、法玄寺と、井草町など近隣の方々が1/2ずつ共同出資する事により、現在の閻魔堂が完成しています。また、写真にはありませんが、閻魔堂の同じ建屋内に、井草町集会所も併設されています。

「八坂神社」は京都にあるものが有名です。御祭神は「素戔嗚尊」「櫛稲田姫命」「大国主神」。

閻魔さまと同じ御利益の「学業成就」のほか「厄除」「縁結び」「五穀豊穣」「家内安全」「商売繁盛」「美容祈願」などの御利益があります。

数が少なく珍しい「六地蔵石幢」

「六地蔵石幢」は、仏教における「六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)」のそれぞれの地蔵菩薩が衆生を救済することを表す石造物とのこと。

調べてみると、中世に中国から伝わり室町以降に多く造られたそうですが、現在は各県に数えるほどしかありません。珍しい石造物です。

御朱印とお守りの授与は「ウチダメガネ」さんへ

普段、閻魔堂は人が居りませんので、お守りや御朱印を頂きたい場合は、利性院入口の2軒左にある「ウチダメガネ」さんに入り声を掛ければ頂く事ができます(閻魔堂の正面にも案内が書かれています)。

閻魔堂の御朱印は2種類あり、1つは文字のみのものと、もう1つは写真の閻魔大王の朱印が押されたものがあります。

御朱印は「ウチダメガネ」さんに行くと店内で頂くことができますが、お守りについては、店の人に案内されて閻魔堂の中に入り、備えられているお守りを店の人から閻魔様に願をかけた上で、授与してもらえます。

間近で見る閻魔様。

やはり、堂の外で見るよりも大きく強く美しく、威厳や素晴らしさを感じられるので、お守りを購入するなどして堂内に入り見てみる事をおすすめします。

ウチダメガネの店の人にお尋ねすると、歴史などを親切に教えていただけます。

明治の火災から、住民の手によって難を逃れた仏像などです。

これだけの数のものを、傷をつける事無く、よく運び出して下さったと思います。

閻魔堂の中、井草町集会所には、閻魔堂に纏わるこれまでの歴史、地域の人々の想いが感じられる写真が飾られていて、この写真は現在の閻魔堂が建て替えられる前の写真です。

以前は、参道の正面に閻魔堂がありました。

現在の、参道中央から少し逸れた形で堂が建てられた理由については、ウチダメガネの店の人からもお聞きしませんでしたが、何か理由があるのだろうと思います。

以前の閻魔堂も、昔ながらの建築様式で味わいがありました。

利性院 閻魔大王

御祭神     閻魔大王(閻魔さまは地蔵菩薩の化身と言われている)

御利益     家内安全 交通安全 学業成就 など

お守り     あり(上の写真を参照)

御朱印     あり(上の写真を参照)

参拝者数    少なめ

参拝所要時間  約30分

駐車場     利性院の南側に足利市観光駐車場 約30台

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