日光山を開いた「勝道上人」によって開かれた神社
栃木県 鹿沼市 上久我という関東山地の奥、石裂山(おざくさん)の麓。
深い山に抱かれた場所に「加蘇山神社」(かそやまじんじゃ)はあります。
日光山(男体山、女峰山、太郎山)を開き、日光の祖とされる「勝道上人」。
日光山輪王寺の近くに銅像が建てられている人物です。
勝道は栃木県真岡市に生まれ、少年期から山林修行を多く行い、現在の下野市にある下野薬師寺でも修行をしています。
その勝道上人は、日光山のほか、栃木市の出流山万願寺や、この加蘇山神社も開きました。
平安時代に朝廷から称号を頂いた神社
その昔、元慶2(878)年に朝廷より従五位下(貴族または華族の爵位)を授けられたという賀蘇山神(石裂山・おざくさん)の東の麓に「加蘇山神社」はあります。
麓といっても、神社入口もかなりの山奥にあり、鳥居の傍まで自動車で行けるものの、車1台分程度の道を進んだ場所にあります。
細い道を進むと、写真のような広いスペースに到着します。
自動車15台程度は駐車できそうです。
道はこの先にも林道が伸びていますが、100mほど進むとゲートが設けられており、一般車は通行できません。
険しく危険個所もある石裂山の登山コース
加蘇山神社は石裂山登山道の入口にあり、石裂山に登頂して下山する周回コースでは約4時間の道のりになっています。加蘇山神社の奥ノ宮もその途中にあります。
この登山コース案内板の隣には、登山届が置いてあります。
石裂山は一般登山コースではありますが、岩場や鎖場・梯子が多く、加蘇山神社奥の宮の直前にある「行者返しの岩」では過去に転落事故が起きており、亡くなられた方も居られます。
また、スマートフォンの電波が届いているのは、神社から500m以上手前の「加蘇山神社遥拝所」付近まです。神社を含めて山中では圏外になり、通話・通信はできません。
遥拝所の川を挟んだ向かい側にある住人の方(遥拝所管理人)に話を聞くと、近頃は女性を含め単独で登山する人も多いそうですが、単独でも複数であっても、山に入る場合は万が一に備え、登山届を書いて置いたり、誰かに伝えて行くのが賢明ではないかと思います。
※登山届の記入用紙と箱が、神社駐車場においてあります。安全のためにご使用ください。
境内には大きな杉多くあります
加蘇山神社神社は関東山地の西北に位置し、山深い沢の奥にあります。深い森に囲まれているため常に雨水を多く含む土地にあり、湿度も高めです。
樹木は水の多い場所でより長い年月、大きく育っていきます。
周囲には神社が創建された頃から存在しているような大きな杉が多く、中でもそのうちの3本の杉は鹿沼市指定の天然記念物に指定されています。
鳥居をくぐりすぐに大きな杉が両側にあります。右側は市指定の天然記念物の杉の1本です。左側の杉も指定はされていませんが、かなり大きな杉です。
なお、参道階段は苔が生えているところもあるので滑らないように気を付けて下さい。
階段を上ったところにある門です。あまり見る事のない不思議な形です。
本殿の扉は閉まっているので、中の様子は解りません。
なお、神社入口階段前の杉の説明板にも書かれていますが、登拝門の向かって右側の双幹の杉は「子宝の杉」と言われており、子宝に恵まれない人がその皮を身に着けると子宝に恵まれると言われている、有難い杉です。
登拝門を過ぎて数十m歩くと、境内社が見えてきます。境内社は「日留神社」のほか2社。
写真はありませんが、日留神社の石灯籠には「文政四年」(西暦1821年)の文字が読み取れました。
神社を過ぎたら登山道(奥の宮への道)に入ります
加蘇山神社から30分ほど歩くと休憩舎に着きます。
すぐ傍まで行ける「竜ケ滝」
休憩舎への階段手前には「竜ケ滝」への分岐があります。竜ケ滝は分岐してすぐに滝の傍まで行けます。高さは7~8m程だと思いますが、美しい滝ですので立ち寄ることをお勧めします。
(📹You Tube)竜ケ滝
竜ケ滝の動画です。
休憩舎を過ぎて数十mほど進むと、石裂山回遊コースの分岐があります。
右方向に進むと「月山」を経て「石裂山」、左方向に進むと「千本桂」「奥の宮」を経て「石裂山」です。
「奥の宮」へ行くのなら左方向ですが、奥の宮の直前には難所「行者返しの岩」があります。
山奥で静かにたたずむ「加蘇山の千本かつら」
石裂山回遊コースの分岐を左方向に進むと「千本桂」があります。ここまでは加蘇山神社から40分ほです。
とても立派な桂の巨木で、巨樹の傍まで近寄る事ができますが、巨樹=長い年月を生きた古木でもあります。木の根元付近などを人が歩き踏み固めてしまう事で、根へのダメージにもなりかねないので、大切にしましょう。
裏側(山側)から見た「千本桂」。
周囲の木々よりも明らかに幹回りが太い事が見て取れます。
千本桂を出て10分程登ると「中の宮」と呼ばれる人の手によって慣らされたであろう平地に到着します。ここにも休憩舎があります。
「中の宮」と呼ばれており、100坪ほどの平地があるので、かつては何かの社があったのだろうと思われますが、今は何もありません。
ここから山側の左方向を見ると、梯子と鎖が架けられた岩場「行者返しの岩」が見えます(写真左奥)。
「行者返しの岩」は危険な難所
「行者返しの岩」は、下からは解りませんが、2段になっています。鎖をつかむ手を緩めて休める所は、中間にある僅かな段差だけで、それ以外は息が抜けません。
下から上までの高さは20mほどです。岩場の上部より誤って下まで転落した場合、軽い怪我では済まず、命に関わるでしょう。
何より危険なのは、山中にあるために岩場は湿っている場合が多く、とても滑ることです。鎖は常に両手で掴んでおかなければなりません。前述したとおり、過去には重大な転落事故が複数回、起きています。小学生には危険かと思われます。ヘルメットやハーネス(体と鎖を、紐やベルトで繋いで転落を防止する登山用具)またはそれに類する装備があると安心だと思います。
大きな岩の裂け目にある「奥の宮」
梯子を上り終えると「石裂岩」と、その中にある「奥の宮」の鳥居が見えます。
ここから傾斜部を登れば奥の宮ですが、まだ油断は禁物です。ここも岩場になっており、更に苔が生えており滑ります。写真には写っていませんが、奥の宮に向かって左側から、岩場ではないですが道にはなっていない、草木の繁る山の斜面を歩いて回りこむ事もできます。
奥の宮は岩屋の中にあり、上部の大岩は覆い被さるような形になっています。「勝道上人」がここを開いた1200年前から同じ地形なのだと思いますが、何故このような地形が作られたのか不思議です。
奥の宮までは加蘇山神社から約1時間。ハイキングとは考えず、登山の心構えで向かったほうが良いルートです。何より前述した「行者返しの岩」があります。
御朱印もあるが、入手の機会は限られる
ちなみに加蘇山神社から車道を4~5kmほど下ったところには「加蘇山神社遥拝所」があり、社殿のほかに神楽殿、社務所などがあります。
「御朱印」も書置きではありますが、置かれている所が社務所建物入口の前にあるのですが、私が参拝した時には、既に無くなっており「無い場合は遥拝所川向こうの家に住む管理人にお尋ね下さい」とあったので訪ねましたが「今はなく、宮司さんが持ってこないと無いんだよ」とのことでした。
この遥拝所の西側には、今は無住となっている宮司さんの大きな家がありますが、今現在の宮司は、前の宮司さんのお孫さんが、宇都宮にある二荒山神社と兼任しているため、忙しく管理が行き届かないのだそうです。
「日光山」を開いた「勝道上人」縁の、由緒と歴史の深い神社であるので、後世にも伝えていってもらいたい社の一つです。
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