
福島県 下郷町 大内宿。
福島県会津盆地の南、山深い場所にある、茅葺屋根の集落です。

大内宿は、福島県でも有数の観光地で、多くの車、観光バスが訪れます。
近年は、外国からの観光客も多く訪れます。

観光シーズンは朝から車の駐車待ちになる
大きな駐車場が沢山ありますが、観光シーズンには一杯になり、駐車待ちの列ができるとのこと。今回は、11月下旬だったため、トップシーズンから外れていたためか、すぐに停める事ができました。

観光客用の大駐車場から大内宿の町の入口までは、300~400mで、徒歩5分ほどです。
大内宿の中は、一般車は通行できません。

大内宿の入口近くにあるお店です。
大内宿の建物は全てこのような茅葺で、美しく整えられています。

こちらもお店ですが、ここはカフェになっています。
この日は晴れていましたので、11月末の朝で気温がやや低めでしたが、縁側の窓から、暖かな日差しが差し込み、居心地のよいくつろげる場所になっています。

全ての建物は茅葺屋根
大内宿は、全ての建物が店舗か、または資料館や、寺社になっています。
そして繰り返しますが、全ての建物の屋根は、茅葺です。
今は大内宿は、会津若松城などと共に、福島県を代表する観光地になっています。
しかし以前、昭和中期頃からは、高度経済成長期でもあったので、当時多く用いられていたカラートタン屋根が手入れも少なく済むために、多く使われていた時代もありました。景観的には、今とは違っていたかと思います。
ですがその後、住民の人々の努力により、その景観や、昔ながらの生活の価値が評価され、それぞれの建物の所有者の協力による店舗運営により、現在の大内宿が出来て行きます。


不鮮明な画像ですが、大内宿の入口付近に立つ説明板です。
見にくいかも知れませんが、大内宿は17世紀(西暦1600年代・江戸時代)の中頃に会津西街道として整備されたことなどの歴史や、町の規模が記されています。

大内宿の街道を写しました。
街の道路は、舗装はされておらず、土の道になっています。景観を守るためかと思います。
土の道ですが、でこぼこにはなっておらず、綺麗に平らに均され、美しく、歩きやすくなっています。
道も、建物の屋根を美しい状態に保っているのと同じように、ここに生きる人達の、町を後世に伝え、外から来てくれる観光客の事を思っての事かと思います。
大内宿は、かつての会津西(下野)街道
現在の会津西街道は、大内宿の東、芦ノ牧温泉を通り、会津と栃木鬼怒川を結んでいます。明治17年に現在の街道が開かれた事で、大内宿は本街道筋から外れます。
これにより町は人通りが少なくなりますが、町は人々を呼び込み、衰退を防ぐため、町の街道の中央に1本だけ流れていた水路を、現在のように道の両端に2本に分け、街道を広くしました。

しかしながら、そののちに、鉄道が福島の中通り(白河市~郡山市~福島市など)から会津まで開通し、更に大内宿を経ていない新会津西街道にも鐡道が開通したことで、大内宿は地域の発展からは取り残されることとなります。
大内宿はその後、農村として営みを続けるが、昭和の中ごろになると外部から保存活動の声があがるようになり、古い建物と昔ながらの生活が評価されるようになり、町があらたに注目されるようになっていきました。
そして、観光地としても確立していきました。

各建屋には、写真にあるような、少し見にくいですが一段低く水路の水に人の手が届きやすくなっているスペースがあります。ここで洗いものをしていたのだと思います。飲用水は、家屋内に設けられている井戸水を使っていたようです。

11月下旬、好天のこの日は、多くの観光客で賑わっていました。
日本人のみならず、お隣の中国や韓国からや、欧米からの観光客も居られたようでした。
寒い季節であり、すでに紅葉の時期も過ぎていましたが、それでも午前中の早い時間から駐車場は多くの車が、大内宿内もたくさんの人がいました。

雨や風の強い日は、営業をしない店も多い
お店の人に聞きましたが、この前日はみぞれ交じりの小雨が降る日であり、加えてやや強い風も吹いていたので、営業せずに、閉めていたお店を多かったそうです。
ですので、大内宿に行くのなら、風のないお天気の日が、やはりお勧めにはなると思います。

町のほぼ中心にある、火の見櫓(やぐら)。
かつては日本の各地にありましたが、今は老朽化などにより姿を消しつつあると言います。
ここでは、写真のように、上部にスピーカーが設けられ、非常時に限らず、町への放送塔のような役割を果たしているようです。


大内宿の本陣跡は、街並み展示館として整備されています。
本陣とは、江戸時代に大名や役人などが利用する言わば「公的な施設」であり、おもてなしをする宿所でした。民間人の旅客を泊めるのは「旅籠」でした。

街並み展示館の中です。1階の囲炉裏には常に薪がくべられ、暖かくされています。
2階もあり上がって見る事もできますが、広くはなく窓もないので、おそらく物置や納戸のように使われていたように思えました。
見取り図によると、この奥に畳の間や寝室、厠(トイレ・使用はしていない)、再現された浴室(檜風呂・使用していない)があるようです。


大内宿の最も奥には、写真でよく用いられる街を見下ろす高台があります。その前には立派な古民家を利用した浅沼食堂という食堂がありますが、この日はお休みでした。

高台へは、神社(子安観音)の階段を登ります。急な階段ですが、ちなみに足の良くない方には、この左側にある、正法寺への緩やかな坂道を通り、行く事もできます。

正法寺です。堂の後ろには墓所もあります。

子安観音です。

由来板には、現在でもお祭りや、観音講が行われていると記されています。
大内宿の建物だけでなく、この地の風習や文化も大切にされ受け継がれていることも、地元の方々の絆の深さを感じます、

高台から見る、大内宿です。美しい山里の風景が望めます。


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